19世紀を揺るがしたアヘン戦争とお茶の影響

こんにちは、流芳園(りゅうほうえん)です。

みなさんは、お茶がきっかけで大国同士が衝突した歴史的事件があったことをご存じでしょうか。前回のボストン茶会事件も大変興味深いものでしたが、実は19世紀のアジアでも同様に、お茶が大きな国際問題の火種となり、戦争へと発展した出来事があります。それが「アヘン戦争」です。このブログでは、中国とイギリスがどのようにお茶を介して深く結びつき、やがてアヘン戦争に至ったのかを、第1部・第2部に分けて解説していきたいと思います。ぜひ最後までお付き合いください。

本記事から分かること

 ・お茶とイギリス、中国を結ぶ歴史の糸とは?

 ・清朝の取り締まりと戦争への道のりとは?

 ・流芳園オススメのお茶の紹介

記事の信頼性

流芳園の店舗景観

・緑茶発祥の地 宇治田原に店舗

・創業200余年の日本茶専門店

・農林水産大臣賞を複数回受賞

お茶とイギリス、中国を結ぶ歴史の糸とは?

アヘン戦争と聞くと、真っ先に思い浮かぶのは「アヘン」という麻薬かもしれません。しかし、その背景には、イギリスのあまりにも強い「中国茶」への欲求と、それによって生じた深刻な貿易赤字がありました。第1部では、イギリスがどのように中国茶と出会い、その強い嗜好がアヘンの密輸とつながっていったのかを紐解いていきましょう。

17世紀からの茶ブーム

17世紀後半、ヨーロッパにもたらされた中国茶は、宮廷や貴族を中心に一大ブームを巻き起こします。イギリスでは特に紅茶が人気となり、宮廷だけでなく一般庶民も手軽に楽しめる飲み物として浸透しました。やがて18世紀から19世紀にかけて「アフタヌーンティー」文化が花開き、紅茶は国民的嗜好品へと成長を遂げます。
こうした背景には、イギリス東インド会社を通じて大量に輸入されたお茶が深く絡んでおり、国全体が中国の茶葉に依存するほどの状況が生まれたのです。

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イギリスの貿易赤字と銀の流出

当時、清朝(中国)はヨーロッパの工業製品をほとんど必要としていませんでした。一方、イギリスは中国茶や絹、陶磁器などを大量に輸入していたため、膨大な銀が中国に流れ出し、深刻な貿易赤字を抱えることになります。
イギリスにとって茶の需要は非常に高く、国内の嗜好はもはや茶なしでは成り立たないレベルにまで達していました。しかし、イギリスが中国に対して売るものが極端に少なかったため、国家財政が大きく圧迫される事態に陥ってしまったのです。

インドでのアヘン生産と密輸

この貿易赤字を解消する手段として、イギリス東インド会社が目をつけたのが“アヘン”でした。インドでケシを栽培し、そこから作られたアヘンを中国へ密輸することで、中国人の嗜好品市場を開拓しようと考えたのです。
当時の中国ではアヘンの輸入が禁止されていましたが、イギリスが軍事力と権力を背景に密売を拡大した結果、中国には中毒患者が増加し、社会問題へと発展していきました。このアヘンによる社会的混乱と貿易摩擦が、やがて両国の衝突を決定的なものにしていきます。


茶業者の独り言※お茶の抗ストレス作用
ケシからつくられるアヘンなどは、鎮痛作用など含む薬物としても使用されていましたが、非常に取り扱いが難しく、現在では、医師がルールに則って処方されている状況です。18~19世紀は、アヘンが一般に流通しやすい状況であったことから多くの方がアヘン中毒によって亡くなられたようです。

お茶は、アヘンなどのように神経や脳に強力に作用することはありません。しかし、テアニンと呼ばれるお茶特有のアミノ酸が含まれております。テアニンは、臨床研究からも飲んでいるとストレスが軽減されることがわかっており、ストレスの軽減、他にもリラックス作用、睡眠改善作用、記憶力改善作用、そしてカフェインには興奮作用の抑制作用、うつ病・統合失調性の病状軽減作用などが報告されております。またストレスは、脳の老化を進めるといわれておりますので、テアニンはそれらを抑制できるとも考えられます。

テアニンやカフェインは、高品質な玉露や抹茶に多く含まれている傾向にあります。

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清朝の取り締まりと戦争への道のり

アヘンによって国が蝕まれていく状況を放置できなくなった清朝政府は、本格的な取り締まりに乗り出します。しかし、その取り締まりがイギリス側に大きな損害を与えたことから、両国の緊張は一気に高まりました。ここでは、アヘン戦争の勃発から南京条約締結までの流れと、お茶が引き金となったこの戦争の歴史的意義について見ていきましょう。

お茶の貴重性とその背景

清朝は、広東(現在の広州)を中心に猛威を振るうアヘンの密輸を抑え込むため、林則徐(りん そくじょ)という有能な官僚を派遣しました。林則徐は徹底した調査と強制的な没収・破棄を行い、イギリス商人たちのアヘンを海岸で公開処分にしてしまいます。
この行為はイギリスに大きな損失を与えると同時に、国際秩序を揺るがす一大事件として見なされました。イギリス国内では世論が沸騰し、ついに政府が軍事行動へと踏み切る口実にもなってしまったのです。

アヘン戦争の展開と南京条約

1839年に始まったアヘン戦争では、産業革命を経て最新の軍艦・砲撃技術を有するイギリス軍が、清朝の沿岸部を次々と制圧していきました。大砲や艦船の性能差は歴然で、清朝はなすすべなく劣勢に立たされます。
最終的に1842年、両国は「南京条約」を結ぶことで戦争を終結させましたが、内容は香港島の割譲や上海など5港の開港、巨額の賠償金など、清朝にとっては極めて不利な不平等条約でした。アジア史において列強の本格的な侵略の口火となった出来事でもあり、中国にとっては屈辱的な近代の幕開けとなったのです。

お茶がもたらした国際秩序の変化

アヘン戦争は、表向きにはアヘンの取り締まりと自由貿易の対立によって勃発したものですが、その根底にはイギリスの「中国茶」への強い依存がありました。もしイギリスがこれほどまでにお茶を求めなければ、アヘンの大量密輸は行われなかったかもしれません。
この戦争を機に中国は列強からの圧迫を受け続け、欧米諸国による植民地支配や半植民地化が東アジアへと拡大していきます。お茶という一見穏やかな嗜好品が、実は世界の国際秩序を動かす大きな要因であったことを、私たちは決して忘れてはならないのです。

アヘン戦争と同じくお茶が国際情勢を動かしたボストン茶会事件について詳しく知りたい方はこちらのブログをご覧ください。

お茶の歴史を知る:ボストン茶会事件と流芳園のお茶の深い味わい

まとめ & 流芳園オススメの玉露の紹介

いかがでしたでしょうか。アヘン戦争というと「アヘン」にばかり目が向きがちですが、実はその裏で「お茶」が大きな役割を果たしていました。私たちの身近な飲み物であるお茶が、かつて世界規模の貿易や国際政治を左右する存在であったという事実は、まさに驚きではないでしょうか。

この歴史を知った上で飲むお茶は、格別な味わいがあるかもしれません。ぜひ、一杯の茶に秘められた壮大な物語やロマンに思いを馳せながら、お茶をお楽しみください。わたしたち流芳園のお茶は、農林水産大臣賞を受賞した茶師10段の技術によって厳選された素材を使用し、最高品質のお茶を皆様にお届けしています。ぜひ、そんな特別なお茶を楽しんでみていただければと思います。

秘園の露(ひえんのつゆ)

流芳園の秘園の露

丁寧に茶葉を手摘みすることで生まれた、
柔らかみのある舌触りと上品な旨味が特徴。
うっすらと乳白の濁りが感じられる水色は、
濃厚な旨味が凝縮されたもので玉露本来の深い甘みと余韻を感じていただけます。

茶種:玉露(手摘み玉露)
料金:3,240円 / 80g(税込)

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甘露(かんろ)

流芳園の甘露

玉露本来の甘さと共に、果実のような香味がしっかりと口の中で感じられます。
また、玉露の芯の部分を贅沢に使用することで、
上品な香りと柔らかみのあるコクを合わせ持った贅沢な玉露となっています。

茶種:玉露
料金:2,160円 / 80g(税込)

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流芳園【りゅうほうえん】

新緑の香りを茶葉がそのまま包み込むように爽やかで、
良質な茶葉を厳選することで贅沢なコクを実現しています。
八十八夜(付近)に採れた茶葉で作っているため、
旬の味を堪能することができます。
老舗の名を刻んだ逸品、是非ご堪能あれ。

茶種:煎茶
料金:1,620円 / 80g(税込)
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鳳雲【ほううん】

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希少な宇治田原産の手摘み碾茶もブレンドした、手摘み宇治碾茶100%使用。
宇治田原産をブレンドすることで香味に奥行きが加わり、
力強い香りとコクが出来上がります。
こちらも濃茶・薄茶ともに使っていただける品になっておりますので、
使い勝手の良いお抹茶となっています。

茶種:抹茶
料金:2,268円 / 40g(税込)

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りゅうほうえん

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